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コロラド駐在記1(初期編)

1992年と93年の2年間、米国コロラド州のボウルダー市に駐在したときの駐在初期のイロイロ
2015.05.02ボルダー再訪を追加


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1992年と1993年の2年間、米国コロラド州のボルダー市に駐在した。
仕事はノートパソコン用のハードディスクの製品開発で、毎週日本宛てに業務週報を送っていた。
業務報告だけでは味気ないので、『蛇足』と称して日常生活の状況を添付していた。
はじめはごく短いものだったが、いろいろ書くうちに本文をしのぐほどの長さになった。
2年間の駐在を終えてみると、100ページを超える量になっていた。
2002年12月をもって停年退職するのを機に、退職記念として自費出版した。
300部刷ったが、友人・知人に献本して品切れになった。
当時カラー写真付きで出版すれば莫大な費用がかかったが、今ならインタネットが使える。
写真を載せて編集し直し、ホームページの一部として掲載することにした。
23年も経つといろいろ変わるわけで、今ならすぐわかるディスポーザーを生ゴミ粉砕機などと書いている。


ヤモメ暮らしの幕開け 2/28/92
 当地は異常に温かい。月末の金曜日。毎月の恒例となっているというピザパーティが開かれたが、 屋外で Tシャツ一枚で丁度よいほど。
 とても1 マイル・ ハイト・ シティの2 月とは思えない。明日漸く荷物と電話が着く。アメリカでのヤモメ暮らしの幕開けとなる。

  

駐在員仲間

アパートを借りた

車を買った。
Volvo5台を試乗したが、
結局はNissan Maxima

運転免許がとれた 3/13/92
 運転免許がとれた。ペーパーテストで25問中6 問落とした。 なんと限界が6 問だそうでヤバかった。
 サンノゼの駐在員から借りた問題集で勉強したので、『何も制限表示のない道路での制限速度は?』という問題を間違えた。
 カリフォルニア25mphに対して、コロラドは30mphが正解とのこと。州ごとに違うらしい。
 学科はモタついたが、雪道ながら実技は完璧。自分の車に試験官を乗せて、街をぐるっと回ってもどってきたら
 Here you areと免許証を渡されて終わり。簡単なものだ。
 銀行の小切手もちゃんと名前を印刷したものが来たし、 マネーカードもきた。 昨日の夕食はついに日本食レストラン「 すし虎」 へ。
 20日ぶりの飯は旨かった。米屋の場所も聞いたので週末には入手出来よう。

   火災報知機作動  3/20/92
 一人、豪勢に網焼き肉などを試み、 首尾よく焼けたところで食事開始。ここまでは問題なかったが、後で網を洗うのが面倒だから、
 ついでに油ごと焼き飛ばしてしまえ、と続けたのが悪かった。さっきより少し煙が多い程度だったのだが、けたたましくベルが鳴り出した。
 幸い消防車が来ることもなく3 分ほどで決着したが、スプリンクラーが作動しなくて助かった。

換気(?)扇
 発煙事件以来、料理の際には換気扇に気を配ってやっており、作動事件は起こしていない。ところが、部屋に臭いがこもってかなわない。
 フィルターが詰まっているのかと、はずしてみて驚いた。何と?! ダクトがない!! フィルターを通った排気はそのまま室内へ。臭いわけだ。
 日本だとダクトのない換気(?)扇などは欠陥設備扱いだと思うがここでは珍しくもないらしい。
 古手の駐在員にこぼすと、 「外でやるしかありませんよ」 とにべもない。
 大枚139 ドルをはたいて先週の土曜日に 「バーベキューグリル・ サイドバーナー付」を入手してテラスに置くことにした。
 組立だけでその日は暮れて、翌日はその疲れでぐったり、まだボンベにガスが入っていない。かっとした勢いで買っては見たが、
 外は暗いしまださむい。今週火が入るかどうか。では皆さん良いゴールデンウィークを。読む人もあるまいので週報も休む。

生ごみ粉砕器
 自炊を始めてから4 〜5 日、どうも流しの排水が良くない。下を覗くとかなり複雑な配管が走っている。
 アメリカでは、少々の修理は自分でするのが普通と聞いてはいたが、これを自分ではずして掃除するのは骨がおれそうだ。
 ドライバーとペンチを持ち出す前に先輩駐在員にお伺いをたてた。
 なんと排水管に粉砕器がしかけてあって、どこかにスイッチがあるはず、とのこと。
 たしかに流しの正面上部にスイッチがある。押したら、大きな音とともに、排水口からしぶきが上がり驚いた。
 後で聞いたら、排水口に備え付けのゴム栓をしてスイッチを入れるべきだったらしい。
 あまり大きなしぶきにはならなかったので事無きを得た。

桜 4/4/93/92
 日本では桜が満開のようだが当地はまだ何も目立った変化がない。コロラドに桜は咲かないのか? と尋ねたら、
 『西の方には咲くらしいが、いつ頃咲くかは、ファーマーじゃないから知らない』 との答え。
 ここでは、花は実の前にある添え物でしかないらしい。

    毎日が行楽地?
 今週は雨が多かった。そのせいか会社へ通う道路の両脇の緑が増えてきた。
 今朝は蓮華らしきピンク色の一角も目に入った。65M/h で走っていてはとても確認する余裕はないが。
 高速をおりて会社のあるClover Basin Drive へ曲がると、正面に一大パノラマが広がる。
 会社の門前から見えるわけではないが、ボルダーの街全景はこんなに素晴らしい景色だ。
 毎日が会社へというより、行楽地か保養地へ通っている趣。勿論一歩建物に踏み入ればなかなか楽じゃないのはそちらと同様だが。


デンバーから来る時のボルダー市入口。私のお気に入りの景色

ボルダー市の全景


散髪(1) こちらへ来て1 カ月あまり。髪ものびてきたので床屋へ行った。受付らしき場所にいる女の子に「 ヘアカット 」と言ったら、
 どうぞ、 と散髪台へ。その子がそのまま例のマントをつけてくれて、「 How would you like? 」 。
 さて何と言ったものか・ mog mog mog …Not too short. …。 フーム・・と、考えた後彼女が発した質問に感心した。
 「 この前カットしたのは いつ?」 。それが判ればどのくらい切れば良いかが判るということらしい。
 「 40日前 」でテキパキと鋏を入れ、ややあって、こんなところでどうだ?と聞く。
 ほどよい長さなので Very good. と言ったらいきなりマントをはずされて、オシマイ。
 ものの10分もたっていない。櫛も入らない髪くずだらけの頭でで追い出された。
 洗髪・整髪はヘアカットとは別注文らしい。文字通りの「 散髪」 を経験した。家へもどって洗髪、 整髪。 中々良い具合に刈ってある。
 ここまで入れても時間は日本の床屋より短い。料金は$8 気にいった。

散髪(2)   7/17/92
 先日米国での三度目の散髪を無事終了した。一度目に洗髪、 整髪なしで髪くずだらけで放り出されたことは紹介した。
 二度目は洗髪も、と注文したし、1 inch cut off. などとなかなか要領よくやったのだが、やはり髪くずだらけで放り出される結果になった。
 何故か?何と散髪の前に洗髪されてしまったのだ。
 三度目。洗髪は?と質問されたので、 「Before cutting? or after cutting?」と聞いてみたら、 「Oh, as you like 」
 とあの肩をちょっとすぼめた独特のゼスチャーと語尾が波を打つように上がる独特のイントネーションで言われた。
 すかさず、 「After cutting 」。 今度は髪くずもなく、チップもきちんと渡して心身ともにすっきりと終了した。
 たかが床屋でもまともにこなすには三回の経験が必要だった。まして、DISK DRIVEの開発ともなれば、などと言っている訳にはいかない。
 HN-4は二度目だが、絶対に成功させねばならない。

挨拶状(1) 4/11/92
 今週は宛名かきに明け暮れた。肩はこるし、目はしょぼつくしで大変だった。300 枚作ったが足りず、
 送別会に出たり記念品を贈ってくれたりした事業部内の課員の方には申し訳ないが個別に挨拶状を送付出来なかった。
 課長さんから宜しくお伝え頂きたい。これに関しても蛇足ネタを作ってしまった。
 あとで届く現物の巨大さ(15x22cm)を見てもらえれば一目瞭然。印刷屋が注文とりに来たとき、標準サイズのサンプルを見て、
  「もう少し大きいほうが読みやすいかな」 と呟いた結果出来てきたのがこれ。残念ながら英語で何と言ったか思い出せない。


挨拶状(2)
 漸く書き上げた葉書を持って郵便局へ行くと、 「オーバーサイズだから封筒に入れる必要がある」 と言う。
 冗談じゃない。やっと書いた宛名が水の泡だ。 「そんな筈はない。これを作ったベンダーが規格内だと言ったのだ」と、
 長蛇の列の白い目にひるみながらも頑張った。敵はやおらルールブックを持ち出してチェックしはじめた。
 「Post card とはSingle piece paper であって云々・・・・」 重さは書いてあるがサイズが見つからない。
 ついに伝家の宝刀 「マネージャーを呼べ」 を繰り出してみたら意外に素直に奥に引っ込んだ。
 ややあって、 「マネージャーは10セント余分に切手を貼ればよいと言っているが私も他の同僚も駄目だと言っている。
 封筒に入れるか10セント余計に貼るかは your choice だ」 と言う。日本とは随分勝手がちがう。
 10セント/ 枚は小さくないが宛名の書き直しはたまらない。躊躇無く10セントを選ぶと、返送されて来るかも知れないのでレシートは
 とっておいた方がよいと念を押された。まだ、返送はされないがそちらから着いたという報せがあるまでは安心出来ない。
 このところ雨が多い。当地の花をさんざんけなしてきたが、近頃目立つ様になった桃に似た花 (名前を聞きたい所だが、
 またファマーじゃないから知らない、と言われてはがっかりするので聞いていない) が沢山見られる様になった。
 春の花は数がものを言うようで、結構きれいだ。特に、杏と思われる白い花と交互に並んでいるところ等はなかなか風情がある。
   コロラドの花の名誉回復のために書き添えておく。

挨拶状(3)   6/13/92
 これで3度目の登場となる。実は返送されたものがあったのだ。 サイズオーバーなどという理不尽な理由ではなく、
  「宛先人不在」 という至極正当な理由で。
 全部で三通戻ったのだがそれぞれに戻りかたが違っていて面白いので3度目の登場となった次第。

その1 米国内からコロラドの私の住所へ
  原因は私のミスで住所録からの写し間違い。STREET名まで正しいが、CITY名から先が次の欄の人の分を記入。
  「このSTREET名は見つからない」 との付箋付きで返送。ごもっとも。

 その2 日本からコロラドの私の住所へ
  宛先人不在のゴム印付で返送。太平洋を渡りロッキーを越えて往復したことになる。

 その3 日本の私の留守宅へ
  宛先人不在のゴム印付で返送。挨拶状に書いておいた留守宅住所を見て、輸送費節減のための日本人局員の機転か。

 両国および両国間の郵便システムがまことに良い状態で運用されている事を見事に示したデータではあるまいか。
 これだけ完璧にコミュニケーションシステムが機能している国の間なら、少々の摩擦はあっても大事に至る事はあるまい、
 と意を強くした次第。

新聞  5/15/93
 当地はいろんな物の値段が驚くほどやすい。たとえば苺。 1 ポンドが1 ドルしないのだ。それも自分で一粒ずつきれいなのから
 より取り見取りで。うまくいけば日本で500 円程度のパックが2 個 1ドル以下でそろう。新聞もそのひとつ。
 住みはじめて間もないころ電話で勧誘された。聞くと1 カ月4 ドルだという。
 あの分厚さは前から知っているので英語の聞き違いかと、何回も確認したが間違いない。
 どうせ読みはしないが1 カ月4 ドルなら安いものだから取ることにした。
 やはりなかなか読まず、ついに輪ゴムを解かないままのもの、雨の日には丁寧にビニール袋入りで配達されるが、
 その袋に入ったままのも合わせて30日分がたまった。
 試しに抱えてヘルスメーターに乗ったら何と36ポンドあった。いまどき単なる素材でも 1ポンドが10セントと言うのはあるまい。
 それがあれだけの情報 (読まずに言うのも変だが) が入っていてしかも30回分の配達料込みでだから驚く。
 配達といえば、100 軒分で100 ポンドを越える。人件費はどうなっているのか。などなど興味はつきない。
 電話でははっきりと聞き取れなかったが、請求書を見ると最初の3カ月だけが4 ドル。
 あとは8 ドルで最初の3 カ月でやめてもペナルティなしだった。新聞を重量で評価して感心しているというのも変な話だが。

泥棒にやられた   5/29/92
 日本の首脳陣一行が帰って以後、どう言うわけか天気が悪い。あれから太陽をまともに見たのは一日だけ。あとは雨か曇りで寒い。
 故障したエアコンは連休どころかそのあとの一週間が過ぎた今日もまだなおっていない。
 会議での決意表明に反してコードはさっぱり出ていかない。レポートの筆も天気同様、湿っぽくならざるを得ない。
 今日は月末の金曜日、恒例のピザパーティ、早くも四回目になる。今日の蛇足は気が進まない。ドロボーにやられたのだ。
 こともあろうにあの「 新兵器」バーベキューグリル・ サイドバーナー付を。
 昨日帰って冷凍庫から鶏の手羽やら、野菜の串刺しやらを取り出してテラスへ出てみると、忽然と姿を消していた。
 前に一度不安が頭をかすめた事はあるのだ。なにしろ、町中至るところに馬繋ぎさながらの自転車繋ぎが置いてあって、
 人は皆たとえ一分間の買い物でもきちんとつないで施錠している。
 施錠と開錠にかかる時間の方が買い物よりながいのではないかと思うほどなのだ。
 一方では、コロラドには、デンバーはともかくこのボールダーには古き良きアメリカが多く残っていて、新しく悪しきアメリカは
 まだ侵入していないのだ、という希望にも似た思い入れもあった。139 ドルは小さくはない。しかし、新たな才能の芽生えを楽しみ、
 女房を驚かせ、首脳陣一行を歓待し、一ヵ月の夕食の多くをレストランへ行かずに済ませた事で、十分元はとれた。
 痛いのはもろくも崩れたあの思い入れだ。それとも猫の前に鰹節を置くような行為だったのだろうか。またすぐに買う気にはなれない。
 何事によらず新たなる才能の芽生えというのは迫害を受ける運命にあるのだろうか。

雪隠詰め  6/6/92
 こんな言葉は既に知る人も少なくなった死語かも知れない。知らない人は字面のとおり、雪に隠れた場所に詰め込まれる事と
 解釈してくれればよい。先週の日曜日ロッキーの山上でそんな目に逢ってしまった。
 朝7 時、目を覚ますと久し振りの青空。 その前の連休の時からロッキーマウンテンの山上道路が開通したと聞いてチャンスを窺っていた。
 朝食を昨夜の残り物で早々に済ませて出動。ふもとのVISITOR センターで尋ねると山上ゲートを開けるかどうかは9 時半頃決める、
 との事。案内ビデオ等を見て待つうちに開通の報せがあった。いざ、出発と外に出ると何と偶然にも、
 先輩駐在員の川瀬君が出張者の山内、 早川の両君を連れて車から降りてくる。渡りに船とばかりに彼の車に乗せてもらう事にした。
 途中で鹿を見たりリスとたわむれたりして頂上へ。そのころから雪がちらつき始め頂上近くの切り通しにさしかかった所で猛吹雪になり
 視界ゼロで停車。そのまま降りしきる雪のなかでじっと視界がひらけるのを待つこと1 時間半。
 川瀬君の車は四駆のワゴンで車高も高いが、前後は普通の乗用車。 雪に埋もれて動くどころかドアも開かない始末。
 除雪車が来て埋もれた車を引っ張り出して、漸く車が動き出したのは何と停車以来3 時間後。
 除雪車の先導でノロノロと動くのかと思ったら、そんなのはほんの200m程度。あとは雪など何処に降ったのかと言わんばかりの乾いた道。
 どうやら切り通しの間にだけ、吹き溜まりのように雪が積もり、運悪くその20台ほどの中に含まれた、と言うことらしい。
 終わって見ればそんなものだが、一時は 「八甲田山」 が頭のすみをよぎったりして心穏やかというわけにはいかなかった。
 先週のドロボーといい、今週の雪隠詰めといい、 「ここはアメリカだよ、なめたらあかんぜよ」 との天の声なのかも知れず、
 しばらくは行動をつつしむとしよう。

私の英語は上達したか?
 日本との首脳会談の準備でアメリカ人マネイジャ達と打合せが続いた。彼らは私の英語が この3カ月で長足の進歩をとげた、
 と口々に褒めてくれた。私自身はあまり実感はない。でも3 カ月もここに居るのだからそれなりの進歩はしたのだろうと思っていた。
 ところが日本から来た人達は3 カ月ぶりに会うと言うのに誰一人褒めない。一日たち二日たちついに三日目の会議が終わったがまだだ。
 確かに、ほとんど通訳といえる様な作業はしなかったので聞くチャンスがなかったのか?それでもかなり英語はしゃべったつもりだが。
 意を決して尋ねるつもりで最後の宴会場 「鮨虎」 へ。なかなか切りだせないでいるうちに偶然英語の話になった。
 SBさん曰く、 「今日あなたが何をしゃべっているのか全く理解できないことが何度かあった。あれは何を言っていたのですか?
 判らないのは私だけだった様だけど」。
 はて、アメリカ駐在経験のあるSBさんにも判らぬほど早口でしゃべれたわけはないが?といぶかるうちにSJさんが横からグサリ。
 「あれは日本語をしゃべっていると思って聞いていれば判るのさ」
 ウーム、鋭い。何を隠そう、興奮したりせっぱつまったりすると日本語の順番に英語の単語を放り出す癖があるのだ。
 それを見破るというのは自分も同じことをやっている証拠だ。と切り返してはみたものの青菜に塩。
 アメリカ人が褒めてくれたのも、実は彼らが私の性癖に慣れて通じやすくなったということではあるまいか?
 この三ヶ月上達したのは私の英語か?アメリカ人の聞き取り能力か?私にこんな重苦しい疑問を抱かせてSJさん一行は帰ってしまった。
 アメリカ人はひとを褒めて育て、日本人は叱って( 又はけなして) 育てるという。私も日本人らしくやってきた。
 しかし、自分がやられてみるとしゃくにさわるものだ。


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