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水泳は農業用水の溜池で覚えた。


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私が泳ぎを覚えたのは8歳の時(昭和26年・1950年)農業用水の溜池であった。足の届かない深さの溜池に

上級生からいきなり突き落とされて、したたか水を飲んで溺れそうになると上級生がちょっと支えてくれる。

2〜3度それをやると犬かきができるようになった。10歳の頃には、見よう見まねのクロールで30mほどの溜池を渡れるようになった。

敗戦から6年しか経っていない当時の日本には、プールのある小学校などほとんど無かったのだ。

中学生の頃、田んぼに猛毒の農薬ホリドールやパラチオンが撒かれるようになって、溜池での水泳は禁止になった。

中学にもプールがなくて3年間はブランク。その欲求不満解消のためというわけではなかったのだろうが、毎年夏休みには、

大きな池のある高原にキャンプに行く事が学校行事になっていた。池は本来は潤菜栽培用のものだが、そこで泳いだ。

安全第一だ、引率教師の責任だなどと騒ぎ立てる者がいなかったあの頃は、子供はそんな自由な冒険を許されていたのだ。



高校に入って初めてプールというもので泳いだ。飲み水のように水が澄んでいて驚いたものだ。

高校入学早々の頃、クラス対抗メドレーリレーというのに駆り出され、苦手の平泳ぎを押し付けられてひどい目にあったことがある。

高校には、遊泳禁止にならなかった溜池のある地区から来たものも居た。第一泳者の背泳はそういう地区で鍛えてきたS君だった。

2位以下を大きく引き離してタッチした。それを受けた第二泳者、平泳ぎの私は、息も絶え絶えに最下位でタッチするのがやっとだった。

50年後、同窓会でその第一泳者S君に会った時、真っ先にそのことを話したが、全く覚えていなかった。

会社に入って5〜6年経ってスポーツクラブというものに入ったが、出費に耐えられず1年でやめた。

それ以来、2002年に定年退職するまで継続的に水泳をやったことはなかった。


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