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山登り 1

登り納めにあたって、先ずは定年後に登った山から、かつて登った山を思い出してみた 2015.09.14更新

根子岳 2015.08


やっとたどり着いた頂上標識

当日は見えなかった遠景

別の角度からの遠景
いかにも化け猫が出そうな怪しい雰囲気

根子岳縦走バスツアーというの参加した。参加の動機は、子供の頃よくおばあちゃんから話を聞かされた話に起因する。
『年を経た飼い猫がある日ふっと姿を消すいことがある。一週間ほどして、痩せこけ、濡れそぼって戻ってくる。根子岳へ行って霊力を
もらってくるのだ。それ以後、その猫は化け猫になる霊力を持つようになる。気をつけたが良い。』なんとなくぞっとしたものだ。
今や自分がそんな話を孫にしてやる歳になったが、孫は東京で高校生になっている。そんな話をまともにきくわけがあるまい。
それに、あの話はおばあちゃんから聞くからそれらしく聞こえるわけで、おじいちゃんからでは雰囲気が出まい。

ここ数日、絶好のゴルフ日和が続いたのだが、ぐっと堪えて体力を温存した。天気が怪しげだが、もってくれることを祈るのみ。
行ってみたら、大変な目に遭ってしまった。祈り叶わず一日中雨。ホントにこれが登山道かいなという急坂を、生い茂った茅をかき分け
かき分け、立ち止まり、立ち止まり登る。昼食は濡れた草の上に雨合羽を敷いてオニギリを頬張る。
途中はずっと茅か藪の中、見晴らしどころではないやっと頂上に着いても、まわりは霧で何も見えず。
証拠写真に撮ったのはお粗末な手書きの標識と、疲れ果てた自分の顔のみ。下りは登りに増しての難路。滑る転ぶ汚れるの三重苦。
幸運だったのは杖を2本持っていたこと。これがなかったら、下り着かなかったろう。それにもまして装備がお粗末。
雨具は10年以上も防水処理をしていないゴルフ用。
靴はこれも年に一度履く程度で放置した古靴、ザックの防水カバーなし。下りの途中で靴底が半分剥がれてパクパク。
バスにたどり着いてからがまたひと苦労。老人ばかりとは言えレディファースト。彼女らの身支度が整うまで男は雨の中で立ちんぼう。
軒先を借りる家も小屋もない。バスに乗り込んでからがまた大変。
山のベテランらしい他に比べて装備劣悪な私は、リュックの中の着替えまでずぶ濡れ。辛うじて無事なのはビニール袋に包んでおいた
アンダーシャツとタオル一枚。車中が暖かかったから何とかもったが、寒かったら凍えていたろう。

帰宅してから考えたね。これは根子岳の化け猫からの引退勧告にちがいないと。あと何度登れるか定かではない登山のために、
今から装備を整えるような愚挙をなすべきではない。老人がもっとも避けるべきは『転倒』のリスク。
ゴルフならまだいくらでもラウンドできる体力を、あんなひどい目に遭うために使う愚かさ。
大した山にこそ登らなかったが、十分楽しんだ。これで登山とも断捨離だー。


祖母山系 神原渓谷 2015.08


一合目滝

沢渡り

苔むした巨石と清流

宮交観光のバスツアー『祖母山系・神原渓谷トレッキング』というのに参加した。所要体力1、技術1つまり初心者向きらしい。
天気は良かったし、楽なコースだった。そのコースの中に滝が3本と渓流渡りが1箇所含まれていてなかなか良かった。
これが次の根子岳縦走(所要体力2、技術1)に参加する誘因になった。所要体力1があの程度なら・・・と。実は0.5以下だった?


霧島連山 高千穂峰 2010.10


宮崎市の我が家から40km西方の霧島連山

河原登山口から高千穂峰を望む

中腹の溶岩道

連山の火口の一つ、御鉢。吸い込まれそう。

頂上の天の逆鉾

我が家から望む噴火直後の新燃岳

家の窓から眺めると、天気の良い日には高千穂峰をはじめ、韓国岳までの霧島連山が見通せる。あの山容を見れば大抵の人は登りたくなる。
えびの高原はコスモスが花盛りだというし、霧島温泉の龍馬の湯というのも一度は入ってみたい。車で行ける距離なのも良い。
登山口からしばらくは歩きやすいが、やがて溶岩だらけの道になり、最期は砂礫の急坂である。途中御鉢という噴火口の周りを巡る。
覗き込むと、吸い込まれそうで怖いほどである。下り始めたら、砂礫が滑ってどうにもならない。ここでやっと、ほとんどの人が杖を
持っている理由が判ったが、時すでに遅し。しかし落ち着いて周りを見ると、下の方と同じ溶岩だらけのルートも残っている。
それを探しながら、溶岩に縋りながらやっと降り着いた。
それから4ヶ月後、連山の中ほどにある新燃岳が爆発した。空振の轟音は宮崎市の我が家の窓をも激しく震わせた。
以後3年ほどは高千穂峰も登山禁止になったから、得がたいチャンスをものにして登ったことになる。


北アルプス 雨飾山 2009.09 (2009年5月妻の弟が遭難した山への追悼登山)


右側のなだらかな稜線の後、
高度差100mの急坂がある山頂

稜線に着く直前の急坂。
上方には梯と鎖場がある

稜線上の分岐点・笹平

2009年5月、妻の弟が遭難した。2週間に渡る捜索では見つからず、その翌日渓流釣の釣り人が沢で発見した。
日本百名山の97座目での無念の遭難だった。単独行でさえなければ無事だったはずなのだが。
前年にキリマンジャロ制覇を果たしていたのがせめてもの救いであった。
北アルプスとはいえ、1980mと、比較的低いこともあって、山の経験がほとんどない姉二人が登りたいというので私が付き添った。
頂上直前の高度差100mほどの急坂は無理と見て、その手前のなだらかな稜線までにしておいたが、十分に追悼の意は尽くせたと思う。
1ヶ月後位に沢で発見された荷物の一部が、発見場所に祀られており、そこに花を供えて手を合わせることができた。
登りは大したことはなかったが下りに意外と時間が掛かり疲れた。だが、武田信玄の隠し湯といわれる小谷温泉の効果は抜群だった。

九重連山 久住中岳 2008.10


名前だけは昔から知っている牧の戸峠登山口

天狗ガ城の大岩

久住の御池

憧れの中岳頂上

銀色に波立つ広大なススキの原野

手作りのカバー付きデジカメ

九重は高校生の頃から登りたい山だったが、当時の高校生が山登りに宿代を使って泊りがけででかけるなど、許されぬ贅沢だった。
許されるのは日帰りできる万年山、由布岳が限界だった。高校を出るとすぐ九州を離れたから、50年近くも、憧れの山で有り続けた。
会社を無事定年退職して6年。ようやく登ることができた。今度は東京からの飛行機も、山の宿代も自前で出して悠々と。
一泊2食付き4000円の安い民宿にだったが、食事は美味しく建物は丸太造りだった。
大分県内から年に何度もやってくるという常連客Oさん一家と同宿だった。当時私は、古い型のデジカメだったので液晶パネルが暗く、
それを補うための手作りカバーを使っていた。それを山中で落としてしまった。全くの偶然で、同じ道を通ったOさんがそれを拾って
民宿に届けてくれていた。がっかりして宿に帰り着いた私が喜んだのは言うまでもない。もし、あのカバーがなければ、
九重名物の広大なススキの原野の写真を撮ることは出来なかったのだから。
台風が近づいていたので、宿のご主人が一日早く帰宅することを、『キャンセル料は要らないから』と勧めてくれたのはありがたかった。


由布岳 2003.04


菜の花越しに観る由布岳の東西二つの峰

新設された別府への高速バスの登山口

昔と変わらぬ山頂の標識

定年退職してヒマになったので、昔懐かしい九州の山に登りたくなった。本当は万年山に登りたかったのだが、調べても昔通りに
登山道が残っているかどうかわからなかったので由布岳に登ることにした。
昔使った駅からまっすぐの登山道は荒れ果てて今は使われていないそうで、新設の登山道から登った。整備が良く昔より登りやすかった。
霧氷があればもっとよかったのだが、そうするともっと登りにくい山になる。定年後の夫婦者にはちょうど良い季節だったのかもしれない。

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